【4年半の単身赴任】仕事は家族のためにするもので、他人の評価のためにするわけではない、というあたり前のことに行きついた

【4年半の単身赴任】仕事は家族のためにするもので、他人の評価のためにするわけではない、というあたり前のことに行きついた

【自分の性別】男性
【誰が単身赴任したか】
夫である自分が単身赴任

【自分の職業】(単身赴任開始時)
化学メーカーの営業職
【自分の年齢】(単身赴任開始時)
29歳

【妻の職業】(単身赴任開始時)
バー経営
【妻の年齢】(単身赴任開始時)
28歳

【家族構成】(単身赴任開始時)
夫である自分、妻、計2人





【単身赴任の期間】
4年半

【現在】
今は一緒に住んでいる(単身赴任を終えて帰ってきた)




【子供は増えたか】
単身赴任3年目に妊娠が発覚し、4年目に出産した




【決意の理由】
当時は会社内での出世を目指していたので、決意した。
当時の社内では20代で海外赴任した実績のない部署で、社内的にも抜擢の雰囲気だったから。
妻は仕事上、やりたいことがあってやむなく単身赴任を決断した。




【不安だったこと】
上海への単身赴任だったのだが、言葉も地理も分からないのが不安だった。
食べ物が合うか不安だった。
新しい職場になじめるか不安だった。

【決まった時の心境】
会社内での大抜擢的な雰囲気だったので、これまでの仕事が評価された喜びがありましたが、徐々に生活に対する不安や妻と離れて暮らさなければならない寂しさを感じるようになったのをよく覚えています。
ただ、基本的にはやる気に満ちていました。




【夫婦での話し合い】
なるべくまとまった休みをとって頻繁に会うようにすることと、朝起きてから夜寝るまで連絡が出来るときには些細なことでもいいので、食事の報告などをし合うようにしようということを話し合いました。
また、嫌なことがあれば辞めたって構わないと妻はよく言ってくれていました。

【子供について】
その当時、まだ子どもを作るつもりはなかったので、子どもについてはおいおい授かることが出来ればラッキーだくらいのことを話しました。

【親戚や友人への説明】
両親や親しい友人には話しました。
両親の反応は頑張ってこいくらいなもので、友人の中には赴任先が中国ということでネガティブな反応をする人もいました。




【住民票は・・・】
住民票を異動した

【理由は・・・】
海外赴任だったので、住民票は異動させる必要がありました。
税金の関係で必要だったように記憶しています。
特に困ったことはありませんでした。




【家電など生活必需品】
中国の一般的なマンションは生活に必要な家具家電は大家さんがそろえておくのが普通なので、自分でそろえたものは使いやすい包丁とかまな板とか程度のものでした。
スマートフォンは現地についてから仕事で使いやすそうなものを自分で買い求めました。

【準備で苦労したこと】
何が現地で手に入りづらいのか分からなかったので、味噌やら醤油やらまで持って行った方がいいのか悩みました。
結局、なんでもかんでも持っていくと重くなりすぎるので、必要最低限のものにしてあとは現地で手に入るもので生活してみようということにしました。
部屋探しは基準が分からず、なんとなくで決めてしまって後悔した部分がありました。




【最初の数日の不安】
家族も友達もいないので、暇だなあと思いました。
街に慣れるまでは通勤でも間違えないか必死で常に緊張している状態でした。
現地の社員が歓迎してくれているのか不安だったのを覚えています。

【悩みや不安に思ったこと】
常に緊張感があって疲れていたので、帰っても家族がいない寂しさはこたえました。
また、最初はどんなところで野菜や果物を買っていいか分からず、外食が多くなってしまったので、急に体重が増えて健康管理に悩みました。




【家に帰る頻度】
半年に一回、1週間はかえっていました。
また不定期ですが、日本で会議がある時はついでに家に寄るようにしていました。

【生活と心境の変化】
まず時間がなく、かえっても一人なので、確実に外食が増えました。
それによって体重も酒量も増えることになりました。
やはり仕事は家族との生活のために頑張るものであって、それ単体では自分にとってなんの意義もないなあとしみじみ思ったのをよく覚えています。
妻に対する日頃の感謝の気持ちも改めて認識することとなりました。
仕事で疲れても帰ったら明るく出迎えてくれてビールもごはんも用意してあることがなんと幸せなことであったかと思いました。

【子供の様子】
子どものことは相変わらず、流れにまかせて出来たら出来ただという感じでした。
ただ、子どもがもし駐在中に出来たとしたら、自分はこのままこの仕事を続けるのだろうかと悩み始めた時期でもありました。
先輩方を見ていても家庭を大事にして仕事も頑張るという感じではなかったので、自分にはロールモデルがないなあと感じていました。




【単身赴任中の危機】
中国でのビジネスは飲み会がついて回るのですが、2日3日と連続で強いお酒の一気が続くと本気で体調が悪くなって、これはどれだけ駐在手当をもらっても健康を害したらわりに合わないぞと感じました。
結局、一番の若者で新参者であったので、断ることも出来ず無理して飲んでいたところ、産業医との面談で肝臓の数値を指摘されるまでに体調が悪化してしまいました。
上海での生活に慣れるにしたがって、酒量もコントロールできるようにはなっていきました。




【妻のありがたみ】
一緒にいてくれて、一日あったことを報告し合えるだけでなんと幸せだったんだろうと思いました。
駐在生活のはじめのころはほとんど毎日当時のマンションの近くの日本食屋や焼き鳥屋で食事をとっていたのですが、一人で食べる食事が味気なくなんとも悲しい気持ちでした。




【良かったこと】
まったく知らない世界を見ることができて、現地の友人も出来て、さらに現地のマンションに投資まですることが出来てほんとによかったです。
発展する上海の街を見て、無理して中古の小さいマンションを買ったのですが、マンション価格も賃貸価格も上がって大変助かってます。




【子供・夫婦関係の変化】
妻とは一緒に過ごす時間が減ってしまいましたが、駐在手当のおかげでお金に余裕が出来るようになったので、まとまった休みをとってちょっと贅沢な旅行が出来るようになり、いろんな思いでが出来ました。
何かあれば飛行機に乗ればすぐに会えるような距離で時差もなかったので関係に影響するまでには至りませんでした。




【工夫と便利ツール】
毎日外食や接待で体調管理がうまくできなかったので、料理のアプリなんかを見てしっかり野菜をとるようにしていたら、料理の楽しさに気付いてかなりいろんな料理が作れるようになりました。
あとはアプリのサービスでよく妻とビデオ通話をしながら食事をとったり一緒にお酒を飲んだりするようになりました。
携帯電話やパソコンがこんなに便利な時代で良かったよねえなんて話をよくしました。
ネットでの買い物も簡単に出来たので、妻の好きなものをオンラインで買って届けたりするようにもしていました。




【単身赴任は・・・】
単身赴任という経験があって良かった

【なぜそう思うか】
嫌なこともたくさんあったけど、おかげで一人の人間として見識が広がって世界の見え方が変わったような気がします。




【現状と未来】
駐在3年目に妻に妊娠が発覚し、子どもが生まれてから数か月で会社を辞めて家族との生活を選びました。
妻が子どもを連れて駐在先まで来る選択肢もあったのですが、当時の仕事は週の半分以上ホテルに泊まって中国内各地に出張しているような状態で、妻に余計なストレスがかかるだけだろうと思い、辞めることを決めました。
現在は無理して買った上海の中古マンションの貸し出しと妻の仕事で生活し、子どもは私中心で見ている生活です。



【当時の自分へのアドバイス】
不安はあるだろうけど、なるべくフラットな気持ちでなにが起きてもその状況を楽しんで。
嫌な人間もたくさん見るだろうけど、いろんな人がいるということを知るだけでもとても勉強になることで、何かを言われたりしたことで傷つく必要なんかない。
自信を持って、おれは会社を代表してここに来て仕事をしている、という気概を持ってやればなんでも最終的には結果が出る。